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「祭り」という名のネット私刑

顔見知りの一人が挨拶代わりにケリを入れれば冗談で済むかもしれないが、見知らぬ複数人の名無しさんが一人に同時にケリを入れたとすれば、それはもう冗談では済まないだろう。例え一人一人が合法だとしてもそれが連鎖的に反応した場合、多大なる被害が予想される。そのような状況を予測出来た場合、これを合法と言い切れるのだろうか?

私は「祭り」が一様に悪いと決め付けているわけではない。どうも民主主義の動力源は「祭り」に依存することが多いようだし、理性ではなく感情で判断することも多々あるのは致し方ないのかもしれない。問題は、匿名から生じる「祭り」が限度を超えた私刑になりやすいことにあるように感じている。個人としての責任を曖昧にした私刑は、得てして個人が持ちうる抑止力が働かないものだ。

はてなブックマークから上記の記事に対してのご意見をピックアップしてみた。やっぱり同じような違和感を感じているように思えました。同じ匿名でも「今までの過去を引きずって言及するブロガー」と「過去とのリンクを一切断ち切った、逃げる算段の整っている名無しさん」じゃその覚悟の程が違うよなぁ、と。

覚悟から生じる社会への責任感って重要だと思うんだけどどうなんだろうか。

例えば社会から見てバイトが無責任に見えてしまうことが多いようだが、これはバイトが会社との雇用形態が希薄、つまり会社の看板を背負うには会社との繋がりが薄いことに原因があるように思える。バックにある背景がその人の覚悟や責任感を生じさせることになり、結果、それが抑止力として働くのではないだろうか。

住所や実名を公開する事で社会との繋がりを強調*2することも一つのやり方だとは思うけど、それ以外の、それ以上の繋がりはきっとあると信じている。大切なものや大切な人、その繋がりを持ったまま発言するブロガーとそのリンクを断ち切って発言する名無しさんとは同じ覚悟で発言しているようには到底思えない。

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*1 俗に言うGPL厨?
*2 会社ではあたりまえのように行われていることですがね